タイのプミポン国王の崩御 タイの歴史的分水嶺

タイ 王室 ステッカー プミポン国王(ラーマ9世) 肖像 + 国旗 Mサイズ 1枚 [タイ雑貨 Thailand Sticker]

今、世界で最も長い国家元首としてタイを統治し、これまで最もタイ人に愛されたプミポン国王が、本日崩御されました。

タイにおいて歴史の転換期が訪れました。

プミポン国王(ラーマ9世)の即位と歴史

1927年、ラーマ5世の69番目の息子のソンクラーナカリン王子の息子として生まれます。
第2次世界大戦が終結した1945年の翌年、1946年兄であるラーマ8世が変死を遂げた後、19歳の時に跡を継ぎタイ国王となりました。

それまで度重なる政変で国王の権威は失墜していましたが、プミポン国王の軍部と民間の利害関係の調停役としての手腕が評価され次第に権威を取り戻しました

そして、国民からの信頼を勝ち得たプミポン国王は長期にわたり絶対的君主として、また国民からの愛を一身に受ける君主として70年にもわたる統治が今日終わりました。

全国民からの敬愛と調停役としての手腕を象徴する事件があります。
それは『暗黒の5月事件』と呼ばれるもの。

1991年に軍部クーデターが起こり1992年に軍部から首相が誕生。
それに反発した民間がデモを行い、死者が300人とも400人とも推定される大きな衝突がありました。

それに対し、国王は首相と民間の代表を呼び寄せ、玉座の目の前に座らせ説教
結果、首相は辞職。元々選ばれていた人が首相に就任しました。
その時の写真がこちら。

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国民のプミポン国王への畏敬と厳しい不敬罪

 我々日本人にはあまり想像しにくいことですが、タイでの王族に対する畏敬・それに対する不敬罪は非常に厳しいものです。

国王、王妃、王位継承者あるいは摂政に対して中傷する、侮辱するあるいは敵意をあらわにする者は、何人も3年から15年の禁固刑に処するものとする 刑法112条

最近ではトイレに王室の批判を落書きした67歳の男性に対し禁固1年6ヶ月の実刑判決がされたことがあります。またfacebookに王室批判を投稿し、禁固30年という実刑が判決されたケースもあります。

それだけ、愛され畏敬されている国王だったのです。

しかし、晩年体調不良により目が行き届かなくなったのか、様々な問題が表出してきていました。

最近のタイの情勢

タクシン派の問題

まずあげられるのが今なお続くタクシン派と反タクシン派との争いです。
2006年にタクシン元首相が亡命してから10年間にわたり、争いは続いています。

ちょっと古い内容ですが、簡単にまとめられているのが下記のリンクです。

blogos.com

非常に端的にまとめますと、貧しい一般市民や議会を中心としたタクシン派と軍部・政商を中心とした反タクシン派との対立です。

と、一言でまとめましたが、タクシン=いい政治家とは言い切れないところでもあります。また軍部・政商というと悪い奴なイメージを持つかもしれませんが、簡単には言い切れません。

単純に善悪で分けられるなら、今頃地球は平和です。

なかなか根深い問題です。

後継者問題

非常にセンシティブな問題です。即位70年という長い統治だったため、王位継承を目の当たりにしたことがあるタイ人はほとんどいません。

そのため、今の国民のほとんどにとっては初めての王位継承です。

先ほど、現在の首相であるプラユット首相によりワチラロンコン皇太子が王位を継承することが示唆されました。

www3.nhk.or.jp

ワチラロンコン皇太子についての言及は不敬罪にあたるため避けますがwikipediaをご覧いただければと思います。

ワチラーロンコーン - Wikipedia

ここでも記載がある通り、現在王位継承権を持っているのはワチラロンコン皇太子とシリントーン王女の2名。

まとめ

これまでのタイの平和と発展は国民から愛されるプミポン国王がいればこそ。と評価する人も多いです。

もしプミポン国王のお膝元であるからこそ、様々な事変はある程度抑えられていたのであれば、今後どうなっていくのかは不安が残ります。

クーデターや政変が行くところまで行ってしまうのか。
それとも各々が自制を出来て、新国王の元でまとまることができるのか。

プーケットへ移住したばかりなので状況を注視していきたいと思います。

 

プミポン国王(ラーマ9世)の御冥福をお祈りします。