【老害】井筒監督の『君の名は。』に対する根拠なき悪口にみるセンスのなさ。
インターネットを徘徊していたら、こんな記事を見かけた。
井筒監督×マツコ・デラックス「ドアホちゃうか、ニッポン!」スペシャル対談(2)アニメは“日本人の顔”が1つもない- 記事詳細|Infoseekニュース
一部引用する。
井筒 あんなオタクのオナニー動画を、1000万人が観るようになったら、オレは終わりやと思うけどね。あれは「映画」ちゃうから。
こんな対談を世に出せる本人のセンスの無さに驚いた。
本人はなんの職業に付いているのか、自覚はあるのだろうか。
もう自分はヒット作を作れないという自身の映画監督としての能力の無さをアピールすることになったことに気づいていないのだろうか。
映画というのは、ほとんどのケースにおいて純粋無垢な芸術作品ではない。スポンサーがお金を投じ、映画監督が作品を作り、一般公開される。
スポンサーは投資に対し、利益を求める。一般的に魅力がある作品であれば興行収入が増える。スポンサーも利益を得られ、そして映画を見た人も楽しみ、ウィンウィンになるのが理想だ。
もし独自の世界観を思うがまま作りたいのであればスポンサーに頼らず、制作費を自費で出して、配給会社も自身の企画力とプレゼンで説得するしかないのだ。
端的に言えば『君の名は。』は商業的に多くな成果を残した。何がそこまでヒットに繋がったのかはわからない。けど、結果から言えば邦画では15年ぶりに興行成績200億円を超える作品になった。
仮にも映画監督を名乗るのであれば、そのヒットの理由を悩み、想像し、自分の次の作品に活かすのがあるべき姿なのではないか。
これを一般企業に置き換えて考えてみれば、競合他社がスーパーヒット商品を生み出した時に、その商品や一般消費者の消費行動について研究をして、その競合他社を追い抜くための商品開発するのが企業のあるべき姿であると私は思う。
でも実際に彼が言っているのは『競合他社の商品は見たことも使ったこともないけど、そんなのを気に入って購入する消費者が終わってる』ということである。
彼がもう人々の好みを追うことができないので映画監督という肩書きを捨てると決意した上での発言であるとしか思えない。
さらに見もしないで文句をいうのは批判ではなくただの悪口・陰口だ。
評論家でも批評家でもない。当てはまる言葉は老害しか出てこなかった。
さいごに
今回の対談での発言から見るに以下の3点が言えるだろう。
- 井筒監督には映画監督としてヒット作を作るセンスもなく、これからの向上心もない。
- 井筒監督は消費者をバカにしている。
- 井筒監督は評論家としても批評家としても不適格である
こんな人がのさばっている日本の映画界・芸能界・出版界ってどうしようもないんだなぁ。
※個人をわかりやすくするために監督と付けましたが、職業を表すものではありません。あしからず。