ブロガーの承認欲求との付き合い方
なんかTwitterを見ていたらマズローの欲求5段階を思い出しました。
そして軽くググったら、ウィキペディアのコピペとか誤用がまかり通っていたので文句が言いたくなりました。それだけだとつまらないので、ブログと関連付けしながら掘り下げて書いてみます。
マズローの欲求5段階説
マズローの承認欲求話はTwitterで犯罪自慢・非行自慢・奇行自慢が増えるにつれて、知名度が上がってきた気がします。
生存権が担保されるようになると高次の欲求が出てくる。高次の欲求のうちの承認欲求というものがTwitterなどのSNSで変な行動をシェアするという行動に繋がっているという話です。
せっかくなので、より掘り下げて解説をして行きたいと思います。
マズローの欲求5段階説のわかりやすい図
マズローの考える欲求の段階は以下の5つです。
- 生理的欲求
- 安全欲求
- 社会的欲求
- 尊厳欲求
- 自己実現欲求
生理的欲求
人間が生き抜く上で最低限の飲食や睡眠に対する欲求。
人間には生命維持をするための欲求が備わっています。
美味しいものを食べたいっていうのはさらに高次な欲求なので、ここには入りません。
安全欲求
安全といわれると治安の良さなどを想像してしまうかもしれませんが、それ以前の問題です。
紛争地帯か否かというレベルの問題です。
日中、出歩いても生命の危険を感じる。だから安全が欲しい。
日本にいると全く身の危険を感じることはありませんし、中東のテロなんていうのは別の世界のように感じます。ただ今現在も生命の危機に瀕している人たちがいます。そんな彼らが国を出て移民したいというのは彼らの安全欲求からなのです。
※移民受け入れが是か非かは本題ではないので割愛。
さて、ここまでの2つは人間が安心して生きていく最低限の欲求でしたが、ここからはより高次な欲求になります。
社会的欲求
この社会的欲求は、社会の何かしらの集団に属することを求める欲求です。
家族であったり、友人グループ、あとは国に対する帰属意識もここに入ります。
生命の維持活動が最低限担保されると、孤独ではいられないのが人間なんですね。
尊厳欲求
その団体や社会的グループの中で注目されたい、意味のある人間だと思われたい、尊敬されたいというのがこの尊厳欲求です。
自己実現欲求
他人の目から逃れて、自分の理想を追い求める状態を指します。
自己超越欲求(コミュニティ発展欲求)
マズローは晩年、自己実現欲求を突き抜けると自己超越欲求を持つと追記しました。
自分だけではなく、所属しているコミュニティ全体の成長を願うという状態です。
話したことがないのでわかりませんが、ビル・ゲイツが難病治療に寄付したりしているのもこの欲求かもしれません。(税金逃れもあるでしょうが)
欲求5段階説の誤解
多くのウェブサイトでここまでは説明されています。
しかし、この説明だけでは誤解を招く言い方であると思います。
その理由は2つ。
- 欲求(人間)ってそんな単純なもんじゃないってこと。
- 自己実現欲求にたどり着ける人はほとんどいないってこと。
欲求(人間)ってそんな単純なもんじゃないってこと。
『自己実現欲求が高次の欲求である』という言い方をするとまるで社会的欲求や尊厳欲求を持っている人が人間としてレベルが低いように聞こえます。
でもそういう話じゃないんですよ、これは。
ピラミッドの下の部分が満たされると、さらに欲求が出てきます。という話なんです。
人間の欲求にはキリがないけど、こういう優先順位なんです。という話です。
このピラミッドだけ見て『ツイッターやはてブで変なことしているヤツは人間的に修行がなっとらん』というのは間違いなんです。
それは欲求を軽く見過ぎです。そんな都合よく人間レベルアップしません。
どんな人間であっても、どの欲求も同時に持ち続けるのです。
人間どんな修行したってあらゆる欲求は同時にあり続けるのです。
想像してみればわかりやすいです。
スティーブ・ジョブスだって孫正義だって生理的欲求や安全欲求から逃れることはできません。きっと社会欲求だってあるでしょう。
この本の中で、在日韓国人であることのアイデンティティーについても触れられています。祖国とか日本への想いとかはやはり自己を定義するには重要な点です。
じゃあ、社会欲求や尊厳欲求があることは人として低次元なのかという話です。
そもそも論、人として高次元ってなんなんでしょう?
やっぱりイエスかブッダかムハンマドなんでしょうか。
この中でも欲求から解脱したのはブッダだから彼が最も人として優れているんですかね!
別に私はなりたいと思いませんけど。
自己実現欲求にたどり着ける人はほとんどいないってこと。
ここまで補足している人いないんですけど、マズローさんは『自己実現欲求にたどり着ける人はごく少数だ』と言ってます。
ピラミッドだけ見せられるとまるで上に行くのが当たり前。たどり着けない自分が悪いんだ。って思いがちです。
本当はたどり着けたら大したもんです。
欲求から抜け出すためには、悟りを開くしかないみたいです。
次に悟りを開くのは56億7千万年後の弥勒菩薩を待つしかないので、普通の人には無理そうですね。
我々一般人はうまいこと欲求と付き合っていかなくては行けません。
インターネットでの承認欲求
ようやく本題が近づいてきました。
SNSの発展とともに社会的欲求と尊厳欲求との境目があやふやになってきました。
インターネットが広がる前は、社会というのは狭いものでした。
自分が認識しないものは自分の社会ではありません。
そう考えると、一人の人間が関わる社会というのは非常に少なかったです。
生まれてからのタイムラインで考えると
- 家族・親戚
- 近所
- 学校
- 会社
- 趣味
こんな程度しか社会は存在しなかったのです。
自動的かつ強制的にこれらの団体に所属することで、社会的欲求を満たし、その中で自分の言動や行動を通して尊厳欲求を求めるという形が一般的でした。
それが今やどうなったか。
無限に広がるインターネットがあります。
facebookやツイッター、インスタグラム。使いこなせば世界中のインターネット人口35億人にコンタクトが取れます。
考えてみてください。1人が34億9999万人と繋がることが可能なんです。
すごいですね。
またインターネットの世界では発言をしないと存在しないことになります。
声をあげて、認知されて、反応が帰ってきて、はじめて自分がいることの証明になります。
ブログを始めても1PVもない場合、それは紙に書いて人に見せない日記帳と同じです。他者を認識する・他者から認識されるということが社会生活なのです。
認知されることが社会だと考えると、先鋭化するのはわからなくはないです。
犯罪自慢だって、元々は身内だけの場でウケる小ネタから始めるわけですよね。さらにウケを狙ってより真似されないこと・自分しかできないことを追い求めた結果です。
インターネットが公器であるという認識が抜けていたので大ごとですが。
マズローの欲求5段階はインターネットの広がりとともに4段階になりつつあるというお話です。
ブログにおける社会的欲求と尊厳欲求
ブログを書いている人は千差万別。その目的も内容も人それぞれです。
共通して言えるのは『他者に認識してもらいたい』という点なのではないでしょうか。
こういう自己開示系ブログとか雑記ブログはもちろん、アフィリエイトブログだってPVが0なら儲けもありません。
ただ、承認欲求がどういう形で表出しているのか。という違いに過ぎないと思います。
素直に承認欲求を認めることがお付き合いの始まりでブログを続けて行く秘訣なのかなと思います。
ブロガーの承認欲求との付き合い方。
ようやく本題です。
まずは自分の承認欲求を受け入れて、理解することが大事だと思います。
ツイッターで周りに噛みつきまくって、炎上したいんじゃー。
大いに結構。
人に役立つ情報を発信して、頼られたいんじゃー。
素晴らしいです。
とにかく収益を稼ぎたいんじゃー。
これまた結構。
欲求って悪いものじゃありませんよ。
人間は自分の幸せを追い求めるものです。
誰かのために生きる。なんていうのは聖人君子に任せましょう。
ただ幸せを追い求める上で自分の欲求を考えることは大事です。
- 自分のが求めているものはなんなのか。
- どういう風に見られたいのか。
- 求めているものが手に入った時、どういう満足感を得られるのか。
こういう事を日常から考えていると、より効率的に自分の幸せを追いかけることができると思います。
とはいえ、人間の思考っていうのは不完全。今日考えてたことが、明日変わっていることが日常です。
それでも考え続けるのが人間というやつなんだと思いますがね。
さいごに
ブログ論をぶち上げられるほど、インターネット論に詳しいわけじゃありません。大学で心理学系をかじったくらいです。
ただまぁインターネットの片隅で、承認欲求に困った人の肩の荷を降ろすお手伝いができれば幸いです。